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INTERVIEW

多摩美卒業生にインタビュー!

多摩美術大学をご卒業し、素晴らしいご活躍されている著名の方にインタビューをしてきました!
今回のゲストは、グラフィックデザイン学科ご卒業の、俳優竹中直人さんです!多摩美時代の貴重なお話や、 ご自身の作品についてなど、様々なお話を聞かせて頂きました!
こちらには・インタビュー動画・インタビュー内容・竹中直人さんのプロフィールやお写真を記載しております。

SPECIAL INTERVIERW

竹中直人

学生時代の思い出やエピソード

学内ではどのようなお過ごし方をされていましたか?

もう本当に楽しかったという記憶しかないですね。多摩美が、多摩美の4年間が今の僕を作ってくれたと強く思います。多摩美に入ってすぐ、映像演出研究会という8ミリ映画を作るクラブとフォークソングクラブに入りました。
この2つのクラブもぼくに大きな影響を与えてくれました。大学を卒業したら映画を作る仕事、俳優という仕事へ進みたいとその時から決めていました。
多摩美での日々は毎日夢を見ていたような感覚でした。

当時の芸術祭では何をされていましたか?

芸術祭は本当に楽しかった!最高でした!僕らの時代はオールナイトだったんです。今では信じられないでしょう?
当時周りに住宅がなかったので毎日大騒ぎでした。その時代の11月は鑓水はとても寒くて八王子は雨でも多摩美に着けば雪だったりしてね。それがまたロマンチックで…
悴んだ手に軍手をしてみんなでパイプを組んでステージや模擬店を作ったり。フォークソングクラブだったぼくはそのステージでギターを弾いて歌ったり、モノマネをやったりしました。映像演出研究会の模擬店では暖かいココアが名物で、ココアの上にのせるホイップクリームを作るのは僕の役目でした。でも出来上がったホイップクリームがあまりにも美味しそうで、ついつい食べちゃうんですよ僕が…。それを発見した友達が「たけちゅう!何やってんだよ!」って、良く怒られていました。たけちゅうは小学校の頃から不思議に変わらない僕のあだ名です。

本日場所をお借りしているのこちらのカレー屋さんは、学生時代からの行きつけのお店とお聞きしましたが、他にもよく足を運んだ場所はありますか?

多摩美に入学して、初めて八王子の街を歩いた時に偶然見つけたんです!本格的なインドカレーなんてまだ20歳の僕には未知の世界でしたからね。普通のカレーライスしか知らなかったしね。初めてインドラのカレーを食べた時はもう大興奮でした。お店のママさんもまるでインド人のように美人で。多摩美時代、弾き語りのライブもやらせてもらった事もありました。もう44年のお付き合いです。
中央線沿線はぼくにとって青春です。オレンジの電車、中央線…
すてきな響きです…。当時は情報誌なんてほとんどなかったから映画のポスターなどで情報をキャッチしたりして、観たい映画を探して知らない街の知らない映画館へ出かけてゆくのはとってもロマンチックでした。当時住んでいた国分寺にも映画館がありましたからね。国立にも《国立スカラ座》という映画館があってね。国立は憧れの街でした。好きな女の子も住んでいて…なんだか懐かしくて笑っちゃう。やはり多摩美時代、自分がすごした場所にはたまに訪ねたくなります。あの頃の、あの時代の匂いを探しにゆく、感じにゆくっていうのかな…街はすっかり変わってしまったんだけれど、ポツンと変わらない場所を見つけて「あっ…まだある…まだあったんだ…」ってね。こんな年齢にもなって学生気分が抜けないって訳じゃないけれど…いや抜けてないのかな、自分が今、映画を監督していても、多摩美で8ミリ映画を作ってた時の気分と何一つ変わっていないからな…

ご卒業後の進路や、
今のご職業に就かれたきっかけ

今のご職業にお就きになられたきっかけはなんですか?

多摩美は本当に全てが刺激的でした。個性的な人ばかりでね。自分がその中でどうやって生きていくのか…
そんな真剣には考えていなかったのだろうけれど、素敵な友達に出会えたことが大きいですね。その中から見えてきたものがあったと思います。映像演出研究会で多摩美の芸術祭に向けて年に一本、8ミリ映画を作り続けて来られたことも自分の将来への思いが揺るぎないものになるきっかけだったと思います。でも僕の周りには作品を作ったからといってコンペに出そう!とかもっと多くの人に観てもらおう!っていう欲のあるやつがひとりもいなかったのも不思議です。多摩美の芸術祭だけに向けてただ作って、芸術祭で上映出来たらみんなでただただ「やったー!やったー!」って喜ぶだけで。でもただそれだけで良かった…って感じが今も好きです。今の職業に就けたきっかけはやはり多摩美の存在そのものですね。

多摩美で学ばれたことやご経験が、今に活かされていると感じられることはありますか?

重複したお答えになってしまいますが八王子多摩美で出会った風景、匂い、空、山、多摩美の風、先生やスクールバスの運転手の方や、守衛のおじさん、美研のおばさんや寮のおじさん、いいお食堂やいいお食堂のおじさん、多摩美で出会った友だち、音楽、全てが活かされています。写真も映画もまだフィルムだった時代です。まだモノラル、アナログだった時代、8ミリのフィルムカメラなんて一本、3分しか回せなかったしね。多摩美での時間は、今でも夢を見ていたのではないか…と感じます。

ご自身の作品や出演作品について

監督を務められた作品など、印象に残った作品はありますか?

印象に残っている作品を挙げるとなると、この誌面では足りませんね(笑)大好きだった俳優や大好きだった監督とご一緒した時のあの震える感じは生でお伝えしたいです。ひとつ挙げるならやはり第一回監督作品《無能の人》(1991)ですね。ぼくがまだ34歳の時…
大ファンだった、つげ義春さんの作品を映画に出来るなんて本当に夢のようでした。それも35ミリフィルムカメラで そして調布日活撮影所にてセットを建てられたなんて…
脚本作り、キャスティング、セットプラン、ロケハン、衣装や美術の打ち合わせなど、本当に楽しくて楽しくてたまらなかった。そしてつげさんの世界に自分が主演なんだもん。映画の編集作業というのも面白いんだよ、当時はフィルム撮影だから何コマ減らすか、10コマ、カットしてみましょうか?とかシーンとシーンをつなぐ細かい間の事なんだけれどね。それから効果音、とか映画音楽とかそれをシーンに合わせて作ってゆく作業は最高でした。多摩美時代8ミリ映画を作っていた頃と全く変わらない夢がそこにあった。今もそうだけれどね。だから作品作りが全て終わってしまうと、ものすごく寂しくなってしまってひとり泣いちゃったりしていました。止めどなく涙が溢れちゃってさ(笑)

作品制作や出演の際、意識されていることやルーティーンなど はありますか?

まずは監督が誰かは気になりますね。そして共演者です。脚本は後なんです。脚本を読んで「うぅ〜ん、良い脚本だ、やるよ」って言うのが嫌なんですよね。だったら脚本読み終わって「うげっ!この脚本つまんねぇー!やる!」って価値観も悪くねーよなって思っちゃう。役者が話の流れを知って演じるというのも好きじゃないです。物語を知ってるのはプロデューサーと監督だけでいいのではないかと思っています。役者は何も知らないまま現場にゆき自分のセリフだけ渡されてただそのセリフを言うだけ…なんてある意味理想的と言えますね。自分が監督する時は脚本作りに一年はかかりますね。7作目の監督作品《自縄自縛の私》(2013)誰も知らない映画だと思いますが、その時から台本を持たない監督になりました。台本は頭の中に入れてしまうのです。最新作《ゾッキ》(2021春公開予定)の現場でも台本は持ちませんでした。だからなんだ??って言われたらそれまでのお話をしてしまった…
良い脚本だからやる!って言うのも良いのですが当たり前過ぎてつまらないです。声をかけられたらどんな役でも飛んで行きたいですね。「呼んでくれてありがとー!」って。それで行ってみたら「あらら…やらなきゃ良かった…」なんて現場もあります。やらなきゃ良かったって後悔することも決して悪いことではないと思います。そんな中にも必ず出会いはあります。じっと見つめていれば辛い現場の中にも必ず何かしら面白いものがあるんですよね。

多摩美術大学の学生へ

芸術祭が出来ないなんてありえない…もし自分だったらと思うとそんな寂しい事はないよ。それで卒業してゆくなんて…。芸術祭は年に一回しかないから楽しいのにね!あの芸術祭の喧騒がたまらないのにね。でも「芸術祭とか別に興味ないんだよね…」ってひとも僕の時代にもいたから、そういう人にはそんなに影響はないかもしれないね。でもさー、多摩美のあのキャンパスで模擬店作ってみんなでわいわいやるあの芸術祭が出来ないなんてあまりに寂しすぎるよ。今は作品を発表出来る方法が色んな形で存在するからぼくたちが多摩美にいた頃とは全然違うし誰もが表現者になれるし誰もが映画監督に簡単になれちゃう時代だからね。すごいよね。けれど配信は切ないよね…
でも配信、全然オッケーって人もたくさんいるからね
「人と会うのもめんどくさいしさ」なんて人もいるし、それぞれその人の生き方だからね
マスクでその人の顔さえ分からない時代が来るなんて…でも女性にとってはマスクは中々助かるみたいだしね。
あれれ、なんだかもう言ってる事が良く分からなくなってしまったよ〜
その状況に合わせてすぐ対応出来る人は本当にすごいと思う!ぼくはだめだな…
生で人を感じたい。やっぱりふれあいがないとな…
おーい!多摩美ー!おーい!芸術祭!早く終息して欲しいよね。悔しい事、悲しい事をなんとかエネルギーに変えて生きてゆかないとね。落ち込む事も才能だと思う。落ち込んだらとことん落ち込んで、そこまでくればもう這い上がるしかない。絶対に【夢】だけは忘れずになんとか生き抜こうぜ!必ず明るい未来はくる。信じることはとても大事だし、負けそうな時にそばにいてくれた人、自分を信じてくれた人、そんな人たちと強く抱き合える日が必ず来る事を願ってみんな身体を壊さないように元気で生き抜いてくれー!夢に向かって生き抜こうぜ!多摩美イェーイ🎶🎶🎶

PROFILE

竹中 直人

1956年神奈川県生まれ。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。1983年、テレビ朝日系バラエティ『ザ・テレビ演芸』でデビュー。1996年にNHK大河ドラマ『秀吉』で主演を務め、高視聴率を記録する。コメディアン、俳優として活動する一方で映画監督もこなすなど、マルチな才能が高く評価されており、『日本アカデミー賞』最優秀主演男優賞など、多数の受賞歴をもつ。俳優としての代表作に「シコふんじゃった。」(1992年)「Shall we ダンス?」(1996年/ともに周防正行監督)、監督作品に「無能の人」(1991年)、「東京日和」(1997年)などがある。多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科で客員教授を務める。2021年に劇場版映画『ゾッキ』では自身8作目となる監督作品が公開予定。